使えない善意 「変わらないものなんか…ないだろ?」 テーブルに頬杖をついたまま、響也が視線だけを成歩堂へと送る。睨み上げるような表情は出会った時から常に変わらない響也のスタンスだけれども、少しずつ剣呑な雰囲気を纏いつつあるのが、成歩堂にはわかった。 若い響也には、理解し難いものがあるのかもしれないとも思う。 確かに自分は年を取ったようだ。腕の中なら零れ落ちていく事が、これから掴み取るだろう事よりも気になるというのだから。 「それが寂しい時もあるのさ。」 あっさりと髪を切ってしまった響也の、それが象徴な気がして再び指を伸ばすと、今度はあからさまに避けられ、そして睨まれた。 視線を真っ直ぐによこす様が可愛らしいというのに、成歩堂のそういう感覚は響也にはわからないようで、これが行き違いを起こす原因になる。 (怒っているんだ)という響也のアピールが、もっと自分を構えと告げているように成歩堂には思えて仕方ない。にこにこと笑顔をかえせば、莫迦にしているのかと威嚇された。 「可愛いから見てるんだよ。」 そんな言葉には形良い唇から大きな息が漏れる。 「アンタってホント、嫌な男だよね。」 「君は、ホント綺麗だよね。」 しかし、響也はむっと顔を歪めて立ち上がった。椅子が羽織っていた上着をさっさと剥ぎ取ると、名残惜しそうにとろりと見上げた成歩堂の視線から逃れ、響也は顔をカウンターの店主に向けた。 軽く頷けば、愛想の準備を始めてくれたので、響也はもう一度成歩堂を振り返る。 「これ以上泥酔しないうちに帰ったら? 僕は送ってなんか行かないからね。」 「どうせ、もう飲酒運転が出来ないだろう? 一緒に帰ろうよ。」 「御免だね。」 短い捨て台詞に、成歩堂もやれやれと腰を上げる。 「冷たいなぁ、弟くんは。」 小さく呟いた言葉に響也がびくりと肩を揺らしたが、成歩堂は気付かなかった。 歩くには歩くのだが、成歩堂の足取りはおぼつかない。 肩にずしりとかかる男の重みには辟易した。終電には余裕で間に合う時間に、此処まで酔った男を見たことがなくて、響也は複雑な気分になる。 重みが増して感じるのは、きっとそれが理由だろう。深酔いの原因となる非日常の要素はひとつあって。それが要因だとしても、結論として引き出されるものに思い至れば気が沈む。 勿論汗ばんだ男臭さも追い打ちをかけている。首筋に触れるニット帽のチクチクとした感覚にも苛々が募った。地下鉄の入口に辿り着けば、階段から構内へ叩き落としたい欲望が増して、ビルにぽっかりと空いた穴を留めている壁に成歩堂の身体を押し付ける。 離れようとした響也を引き留めるように、上着の釦にペンダントが絡みついた。 「悪い‥ね。今外すから…。」 指先まで神経が行き渡っていないのだろう縺れた指先は、たわいない仕草をどうしようもなく困難にさせていた。 「僕がするよ。」 成歩堂の指に重ねるように、響也は指を絡めて胸にかかるロケットを指で外した。離れた身体の間で、成歩堂のペンダントが揺れた。 響也にお土産を強請る時の成歩堂は、朝まで一緒にいる事はない。愛娘の、そして今はおデコくんも共に暮らす家が優先。寂しさを感じない訳ではなかったが、自分と成歩堂は恋人同士のような甘い関係ではないのだ。 「君は、もう終電はないんだろう?」 成歩堂の問い掛けに、アルコールに浸った脳味噌でもそれなり廻っているようだと、響也は少々感動した。 「タクシーでも拾って適当に帰るから。」 「大丈夫かい?」 「え?」 酷く心配そうな表情に、響也の方が面食らう。二十四にもなる男の何がそう心配だというつもりだろうか? 「いや、すまん。」 はっと何かに気付いた様に表情を変え、帽子で顔を隠し、気まずい表情でくしゃりと笑う。 「君が髪を切ったものでつい、未成年のように錯覚してしまった。」 「…未成年に酒を勧めて、たかるのかい? もと弁護士さん。どうかしてるよ。」 前髪に指を絡める響也の端整な顔が、歪んだ。それを取り込んだまま表情は笑顔に移る。 「じゃあ。」 軽く手を振り、成歩堂に背中を向ける。響也の短い髪が、遠ざかる背中が、成歩堂の憔悴感を煽る。何故だか理由はわからない。けれど、今、響也を逃がしてはいけない気がして、追いつかない思考と焼き鳥の包みを置き去りに脚は走り出していた。 「成歩堂さっ…!?」 急に腕を掴まれ、路地の壁へ押し付けられながら響也は瞬きを忘れるほどに相手の顔を凝視した。先程までの気怠いような雰囲気は一転して、突き刺さる程の鋭い瞳が響也を凝視している。まるで、酔ったふりでもしていたようだ。 けれど、濃い色の瞳は深すぎて、響也に深淵を触れる事を許さなかった。 「どう…っ!」 問い掛ける以外に術もなく、音を発しようとした唇は音もなく塞がれる。 暗がりとはいえ、こんな繁華街の往来で。男同士が抱き合って深い口付けを交わす。どう考えても拙い状況だ。それがわからない男ではないと思うのだが、やはり酔っているのだろうか? 「や、待っ…。」 顔を斜め下にずらして、制止しようと試みようとしたが、強い力で再び顎を抑えられ、強制的に舌をねじ込まれる。反抗は許さないそんな意図が見え隠れして、響也は片脚を後方へ引いた。やめさせるには強硬手段をとるしかないらしい。 相手が息継ぎをする機会を見計らって、蹴り上げようとした脚はその前に、成歩堂のもので壁に押し戻されていた。糸を紡いで離れる口端がにやりと嗤う。 content/ next |